前回の「檄文を読む会」では、檄文と辞世について、また『英霊の聲』をめぐる諸論点を整理し解説・討議した。

本年は、尊敬する諸先生が義挙について論じたものをとりあげ、輪読・討議することとした。

次第は次の通り。

■三島・森田両烈士の御霊に黙祷

■檄文奉読(青年隊・岩上隊長)

■義挙に対する諸先生の所感を輪読し討議

①中村武彦先生
 『或る日本主義者の半生』より「楯の会事件の衝撃と石田和外長官からの電話」
 「野分祭」中村武彦斎主祝詞(犬塚博英先生ブログ (Click!) より)

②影山正治先生
 『天皇論への示唆』より「いくつかの附言」

③葦津珍彦先生
 『時の流れ』より「三島由紀夫自刃すー沈黙せる国民心理への影響」

ことに、葦津先生の論、指摘には慎重で充実した討議が行われた。
(詳細については、別途記したい)

■三島由紀夫著『文化防衛論』「日本文化の国民的特色」輪読
  
 皇位継承と式年遷宮について、三島氏の論ずる「オリジナルはその時点においてコピーにオリジナルの生命を託して滅びてゆき…」という指摘を、式年遷宮・御白石持ちの経験から論じた。

■来年の慰霊祭(法要)、顕彰行事開催に向けての討議
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黙祷
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最近、神道祭祀、祭式を学ぶ岩上隊長。檄文を持つ手つき、姿勢も様になっている。パーカーは、ニューオリンズだけど…。
三島由紀夫墓前にて祈る。
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たなつもの百の木草もあまてらす日の大神のめぐみえてこそ

朝よひに物くふごとに豊受の神のめぐみを思へ世の人

新嘗を祝ふ集ひ(実行委員長・荒岩宏奨氏)の新嘗祭(斎主・大東神社 高橋氏)に典儀として奉仕。
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特集に拙論を掲載いただきました。

購読につきましては、kuninoko@gmail.com まで問い合わせ下さい。
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ミャンマー・ヤンゴンの日本人墓地において斎行された「大東亜戦争・ビルマ方面 戦歿者慰霊祭」(主催:戦歿者慰霊の会櫻街道、斎主 末廣神社 竹ノ内喜良司宮司)に典儀として奉仕させていただいた。

羽田〜タイ・バンコクを経由して、ミャンマー・ヤンゴンへ。

ミャンマーの上空。飛行機の窓から見える、大地の緑と赤土のコントラストが美しい。

幾本もの大河も横たわっている。

先人は、灼熱のこの大地を歩き、背丈を越える川を渡った。

インパール作戦の過酷さを思う。

祖国を、家族を思う兵士たちの目に映った風景を、いま私も見ている。


    ☆     ☆     ☆     ☆

【慰霊祭式次第に寄せた一文】

先の大戦終結から七十二年の歳月を数える年となりました。敗戦という未曾有の事態を経験した我が国も、父祖らの祖国再興の思い、懸命の努力は「奇跡の復興」と賞され、いまでは世界有数の大国となりました。

それでも、現代人の歴史観は、昭和二十年八月を境に大きく転換させられ、いまでは、歴史を断罪する風潮がはびこり、戦歿者に対する慰霊顕彰という日本人の心持ちも、年を
追うごとに希薄になってしまっています。

しかし、この繁栄した世を生きる私たちが、その礎となられた先人を敬うことなくして、真の平和など招来するはずはありません。

昭和十六年十二月八日の日米開戦以降、ビルマ(当時)における日本軍は、昭和十七年
一月から昭和二十年八月の終戦まで、およそ三年七ヶ月にわたり米国、英国をはじめとする連合軍と熾烈な戦いを繰り広げられました。

この戦いでは、ビルマ方面軍、第十五軍、第二十八軍、第三十三軍合わせておよそ三十
三万の兵士が戦闘に従事し、約十九万の兵士が尊い命をおとされています。インパール作
戦という過酷な行動では、その道行きに多くの兵士が斃れられ、その道は「白骨街道」と
も呼ばれるようになりました。そして、いまだ祖国に帰ることの出来ない先人のご遺骨が
多く残されたままの状況もここにあります。

これまで、「なき友の遺骨を日本へ」と念願された、ビルマ戦友団体関係者の皆様をはじめとして、多くの方々によって戦跡慰霊巡拝・ご遺骨収容活動が行われてまいりました。しかし、高齢化にともなう現実を目の当たりにするなかで、あらためて次世代を担う私
たちこそが、これを引き継いでいかなければならないと痛感しております。
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10月22日より4日間「まことむすび奉仕団」の一員として、皇居勤労奉仕に参加させていただいた。
あいにくの天候不良で、大したご奉仕ができなかったことが悔やまれる。

今回は、初心にかえる意味を込めて、十年前に『國の子評論』に記した拙文を掲載。


■■■「宮中勤労奉仕の記」(『國の子評論』平成19年8月号)■■■

本年も、二度の宮中勤労奉仕をさせていただいた。

六月五日より、「みやこ奉仕団」の一員として、また、七月二日より「玉鉾奉仕団」の一員として、計八日間、皇居及び赤坂御用地での奉仕作業を貫徹した。

どちらも 天皇皇后両陛下より御会釈とお言葉を賜る。お忙しい御公務をこなされる 両陛下でありながら、我々奉仕団の前に御出座いただき、暖かい御言葉をかけていただける。正に君民一体を強く思う瞬間である。

六月の赤坂御用地御奉仕の日には、奇しくも 皇太子殿下がポリープの手術をされる日と重なった。御会釈こそかなわぬものであったが、皆整列し御所前に立たせていただいたとき、きっと奉仕団員全員が手術の成功と御快癒を祈念したに違いない。そして我々は懸命に草を刈った。

七月の御奉仕に当たっては、御元気そうな皇太子殿下の御姿を拝することが出来、感激もひとしおであった。

宮中勤労奉仕は、昭和二十年十二月八日、宮城県「みくに奉仕団」が戦後始めての勤労奉仕を許された。「みやこ奉仕団」の前身である「不二奉仕団」はその直後、昭和二十一年から本年に至るまで、欠かされることなく行なわれている。

私は昨年の第六十回という大きな節目の年から参加をさせていただいた。白シャツ、白鉢巻姿で懸命に草を刈る友のひたむきな姿、そして先人から連なる想いに敬服し自分自身もまた、負けていられないとの思いを強くする。これを切磋琢磨というのだろう。

影山正治先生は云う
「一文の得にもならない、宮中勤労奉仕などといふことに、手銭・手弁当で、満二十五年もの間、血道をあげる」などといふことは、「ささげること」よりも「うばふ」ことを主体とする戦後の世の中から云えば、まさに「バカみたいなこと」であるだらう。「惚れなければ出来ない」やうな、その、「バカみたいなこと」に徹してゆかうとするところに、大東塾の「尊皇」と「維新」のありかたがあるのだらうと思ふ。大西郷も云つたやうに、我々は、その「バカみたい」な無償の一念が、実は国を清める根ころに実は、見失はれた「聖なるもの」、忘れられた「日本そのもの」が脈々として生きて居るのを見るからである。そのことの実証を目の前に見たいものは、「そんなバカな」と批判や理屈や文句を言ふ前に、一度、心をむなしくして、すなほに、四日間の「皇居勤労奉仕」をやってみるがよいのだ。(「宮中勤労奉仕満二十五年」影山正治)

臣民の無償の一念が国を清める力になっていく。

この力の結集こそが我々の使命であると、強く感じる。御奉仕期間中こんなことがあった。

久間防衛大臣がお得意の失言の中で「原爆投下はしょうがなかった」と、愚にも付かない発言をした。野党はもとより、与党までも一斉に反発を強める中辞任をし、新しい防衛相に小池百合子が就任した。

皇居宮殿で小池百合子新大臣に対し認証官任命式が行われる日、我々は 陛下の御住まいがある吹上地区での御奉仕をさせていただいた。草を刈り、集め、捨てに行く。そんな作業を繰り返す中で、宮内庁担当者から、「陛下が御通りになりますので、並んでください」と指示がある。

過去の御奉仕中にも何度か御公務に御出座しになる 陛下を御見送りさせていただいた。しかし、今回違っていたのは 陛下御自ら車を運転され宮殿に向かわれたことである。

すなわち、新大臣の認証官任命式に対し 陛下は、車の後ろに乗られるのではなく、御自ら運転され宮殿に向かわれたということである。

そこにどのような意味があるのか、推測することは不遜なことであるかもしれない。しかし私は敢えてこう考える。

以前ある政治家が「大臣というけれども、誰の臣なのか」という発言をした。尊皇心のかけらもない男であると、自らが公言したようなものであるが、今回正に 陛下は自らの臣としての防衛大臣信任に対し、御自らが車を運転され宮殿に御出座しになったのである。

これ以上の臣に対する御心遣いがあろうか。信任を受ける多くの政治家はそのようなことを知る由もないだろう。知れば、金や女のスキャンダルなど出てこようはずもない。

宮殿から戻られる 陛下をお迎えする。 陛下は車を止められ、窓を全部開けられ我々を労いくださる。

臣民としての誓いを新たにした瞬間であった。
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北海道から参加の雪田さんと
【テーマ】「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」を契機として 天皇国日本を考える

・意見発表(横山)
・神道的考察(横山)
・密教的考察(佐久間副長)
・自由討議(青年隊)


※機関誌『國の子評論』 の頁 (Click!) 更新しています。
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8月22日、東京芝・愛宕神社境内にて、尊攘義軍12烈士女72年祭を斎行した。

翌23日には、明朗会12烈士碑、25日には大東塾14烈士碑に参拝。

「いつもだろ!」と言われればそれまでだが、なんとなく夏休みを迎えた気分である。

※民族革新会議ブログ・大熊雄次広報部長による報告記事 (Click!) 

※過去記事「尊攘義軍12烈士女慰霊碑のこと」 (Click!) 
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慰霊碑移設後はじめての慰霊祭
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60名の方にご参列頂いた
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民族革新会議のみなさまと
残暑お見舞い申し上げます。
猛暑を覚悟していたのですが、8月に入って毎日雨が降る「異常気象」の東京です。
諸兄姉にはご清祥にてお過ごしのことと存じます。

戦後72年の年、いまだ「終戦」なのか「敗戦」なのか、提議さえ曖昧です。「終戦記念日」という表現だけは拒否したいと思います。「記念日」は「結婚」や「創立」など「慶事」の際の特定日、「終戦記念日」という呼称に、「戦争に負けて平和が訪れ、繫栄した」という「戦後日本」を無条件に肯定する負け犬根性が染みついています。

戦争責任などないに等しい民間人、しかも17歳の少年までが、敗戦降伏を潔しとせず、死して護国に鬼となり「神州日本」を守り抜かんと自決された「尊攘義軍12烈士女」弔魂祭を自決当日同時刻に愛宕神社境内にて執り行います。

長年にわたり計画・進行していた新橋・虎ノ門地区の再開発事業の対象地域に愛宕神社近隣も含まれ、自決現場に建立されていた弔魂碑、顕彰碑の移転を余儀なくされました。愛宕神社の厚いご配慮で、神社拝殿左側、真垣平九郎の手折りの梅の手前に移転し、去る5月の神社月次祭の折に、関係者参列の上、移転奉告祭を済ませております。
これからは何時でもお参りできる神社の中心部に収まったことをありがたく存じます。本年初めて、移転後の弔魂碑前で慰霊祭を執り行います。

60年祭以降は、当日をご記憶のある方のみにご参列頂いておりましたが、本年は移築奉告を兼ねた慰霊祭を執り行いますので有縁の方々に略式ながら、ご通知ご案内致す次第です。感謝合掌

尊攘義軍12烈士女72年祭

平成29年8月22日午後5時~6時

愛宕神社拝殿横・弔魂碑前

※祭典終了後、新橋駅傍の居酒屋にて直会(懇親会)を行います。併せてのご参加をお願いします。(別途費用3千円)
【特集】「東アジアの新たな地平を開け」
先日の訪中レポートを掲載して頂きました。(ちなみにタイトルは、編集部につけて頂いたものです)

※8月22日発売。全国書店でお求めになれます。
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